読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ep3.5 production notes

https://kakuyomu.jp/works/1177354054880206914

 

 3.5話が終わったので記録を残していく。ルーチン化していくぞ。

 

■Title

電脳探偵言いたいだけ。

 

■①

 誰が言ったか、ジャンル小説の基本的な書き方として、主人公より読者の方が多くの情報を持っているのがサスペンス、同じだとミステリ、主人公がの方が多いとSFなのだという。ブギーマン:ザ・フェイスレスの場合、道哉の知らないことは読者も知らないようにしているので、基本はミステリになる。だが、部分部分では緊張感を煽るために、サスペンス的に視点を外に出している。本来、このスタンスは作品を通じてぶらすべきではない。よって、道哉より多くを知る羽原紅子の視点は、挿話になる。

 挿話限定で主人公がスイッチしても、ヒロインは同じである。少女漫画の、相手役である男にモノローグがあるやつが全くもって気に入らないので、片瀬怜奈視点のシーンは可能な限り減らしている。ep4では、怜奈がレッド・ラビットに潜入してその活動実態を探る一連のエピソードを全部カットしたりした。冒頭に護身術の訓練シーンがあるのは、レッド・ラビットからの脱出シーンに繋げるプロットの名残である。

 

■②

 フィクション、だが10年後においては定かではないネットストーキング。悪意とGoogleがあれば何でも暴けるのが作中のルールであり、リアリティの基準をここに置いている。

 最凶痴漢電車の車内にも防犯カメラが設置されている世界観である。遠からず都市は鉄道警備組織『レイヴン』の制圧下に置かれることだろう。

 

■③

 道哉とは関わらない部分で羽原紅子はホモくれオタクという設定だが、2020年代に熱いジャンルなど想像もつかないという実務上の理由から、今後もメインの話に関わることはない。人物の履歴書を作っているときに、電子工作に強い少女のきっかけやその後に味わうコンプレックス、反動としてのBL好きなどの設定が一連のものとして決まった。

 

■④

 ep3.5は、羽原紅子という人物の、怜奈のような少女へのコンプレックスやいのせのような女への同族嫌悪を通じた道哉視点では見えない背景の説明であり、ep5,6へのセットアップでもあった。

 電脳探偵は、「あり得る未来」という世界観の作り方において、大きな影響を受けたある作品への敬意の表明でした。おれにはオマージュをやってみせるような見せかけの愛しかない。こんなことやったって、言わなきゃわからない。伝わらないんだ。

 

プラトニックチェーン(上) (星海社文庫)

 

 次回『連続強姦魔ドバト男』は10月中旬の開始を予定しています。めっちゃどうでもいいですが、【予告】が流暢に音読すると30秒に収まるようになってます。

広告を非表示にする

ep4 production notes

https://kakuyomu.jp/works/1177354054880206914

 

 第4話が終わったので様々の記録を残しておく。読破いただいた奇特な方へのサービスであり、私自身が舞台裏への偏愛を持つがゆえであります。チラシの裏って言葉知ってっかーーーーーー!!!???????

 

■Title

 もちろん新キャラクターのことだが、本作サブタイトルがザ・フェイスレスで、再起動だからという意味合いも込めた。

 

■①

 灰村禎一郎という名前は、ディック・グレイソンa.k.a.初代ロビンから取った。グレイのソンだから灰村。彼の技術はロビンがサーカス一家の出身であることにインスピレーションを得た。パルクールって現代の曲芸だ。

 

■②

 2020年代のARは共通プラットフォームがGoogleによって整備されて芸術から購買まで幅広い行動の入り口となるだろうという想定をしている。広告とネット通販が高度に連携し、ドラマの広告から着用商品のAmazonページが開ける。デジタルサイネージの進化版である。『仮面ライダーアマゾンズ』を観ているときに、水澤悠のベルト持ち運びバッグがAmazonで売ってないことに不満を抱いたことから思いついた。売れ。

 灰村と共に走る2名にはそれぞれジェイソン・トッドティム・ドレイクに因んだ名前を設定したが、日の目を見ることはたぶんない。

 

■③

 少年グループだから○○団にしようと思ったが、ルビでつけた「ブラック・ネイルズ」の方が気に入ってしまって、結局黒爪団表記はおまけになってしまった。

 サカグチはバンクシーに因んでいる。バンクシー→坂口→サカグチ。わざわざバンクシー・ダズ・ニューヨークという映画まで観に行ってしまった。

 何でもかんでもロックにする態度がぶれない音楽雑誌はロッキング・オン

 

■④

 出来上がってから気づいたこと。ヒーローが引退中の街にコスチュームを真似て悪さをする連中が出るって完全にARROWシーズン2の第1話だった。

 

■⑤

 どうでもいい話だが、異次元のコーヒーへの衝撃だけは実体験を元にしている。

 

■⑥⑦

 出てくるだけで話が駆動するヒロインがいると書くのが非常に楽。本作においては羽原紅子が完全にそれで、ここから先は書く速度が倍になった。灰村の生い立ちについては、まるごと削るかかなり悩んだ挙句、「知らねーよ」でオトした。真正面から描くのは難しいが、もはや過去である。そういう時代にしたかった。

 

■⑧

 いわゆるビッグデータ解析。傾向を見出して商売にする手法が20年後にどんな変態を遂げているかはいち市民として楽しみだ。組織診断についてはある実在のサービスをモデルにした。タキシードの兎は言わずと知れたPLAYBOY誌。

 

■⑨

 灰村の走行ルートは記憶とGoogleMAP、ストリートビューを大いに参考にした。「警察署裏の神社」は冲方丁天地明察』にも登場した金王八幡宮をモデルにしている。笹本祐一妖精作戦』のあとがきに、道路地図を首っ引きしながらカーチェイスシーンを書いた思い出が綴られていた。戦後は続くよどこまでも、されど昭和は遠くなりにけり。

 

■⑩

 第3話の三号倉庫戦と同様、乱戦ではなるべく第四人称に入るよう心掛けているが、鍛え方の足りなさを思い知らされた。マルドゥック・ヴェロシティは本当にすごい。

 

■⑪⑫

 ブギーマン:ザ・フェイスレスはまだまだ続きます。

 

 

広告を非表示にする

25 - 尾頭ヒロミ(『シン・ゴジラ』)のノートPC

 シン・ゴジラ、おもしろいですね。特に市川実日子さん演じる尾頭ヒロミがよかった。お言葉ですが既に自重を支えている状態と考えます。

 よかったので、彼女の使っていたノートPCを探した。

 

f:id:aruren:20160812234613j:plain

 そのため(だけじゃないが)に4回観て、確認できた特徴は以下の通り。

 

Panasonic

・天面の形はLet's Noteに典型的なそれだが、色は黒

・左側面に青色のD-Sub

・右側面にSDXCスロット、DC-in

・テプラなし

 

 では、Panasonic公式サイトからこれらに当てはまるモデルを探してみよう。

http://panasonic.jp/pc/

 

 上位から見ていくと、LXは側面の仕様が合わない、SZは(私の見間違いでなければ)右側面に通風口があるため違う、MXはD-Subが右側面にあるため違う。

 すると、残ったのは10.1型のRZ5である。外観写真を見ても、左側面にD-Subがあり、右側面にSDXCスロットとDC-inが配されている。

 だが、これで決まり!と思いきや、大問題がある。

 レッツノートRZシリーズは、これまで黒のラインナップがなかったらしい。元来黒はメーカ直販の上位機種の証だったようだ。そして、RZに黒が追加されたのは2016年夏モデルから。以下の記事によれば、出荷日は7/28である。

 

レッツノート2016年夏モデル。20周年記念の特別モデルが登場 - PC Watch

レッツノート20周年記念モデル特設サイト | パナソニック公式通販サイト - Panasonic Store

 

 これでは撮影時期に全く合わないのだ。

 さて、これはどういうことなのだろう。

 

1. 見間違い

2. Panasonicが自社商品PRのため一般販売に先行して貸し出した

3. 調べきれない別モデル

 

 大変申し訳ないが1.の可能性が高い気がする。特に左側面はSZシリーズくらいシンプルだったようにも思う。2.だったらロマンがある。3.だったらレッツノートオタクの登場を乞うしかない。

 それにしても、税込みで35万円にもなるノートPC。テプラがどこにもないということは恐らく私物という設定である。コンプライアンス、セキュリティ上の問題はさておくとして、35万のノートPCを平然と使う課長補佐。うーん、金持ってやがんな国家公務員。

広告を非表示にする

24 - シン・ゴジラとシネマスコープ

 中身に触りたくないので予告編に出ているカットを用いてシン・ゴジラの素晴らしいところを伝道することにした。中身の話をしたくないので画面の話をする。

 そこでこのTVCMだ。

www.youtube.com

 よろしいか、YoutubeやTVで観ていてもすさまじいワンカットだが、劇場で見るとこのカットは更に凄い。なぜか。

 

f:id:aruren:20160801232152p:plain

 車窓から撮影されたような映像。まず最初、ゴジラはフレームの左側にいる。この時、車は右から左へ走っている。

 

f:id:aruren:20160801232332p:plain

 撮影者がゴジラの真下へと潜り込んでいく。するとゴジラはフレームの真ん中に移動する。ここで、人間の視点を用いるモキュメンタリー的な演出は見せかけに過ぎず、実はさらに巧妙な演出が潜んでいることに気づく。もしもモキュメンタリー調を徹底するならばカメラは揺れるはずだし、また、撮影対象であるゴジラが次第に右へ動いていくのはおかしいのだ。

 

f:id:aruren:20160801232726p:plain

 最後。ゴジラは完全にフレーム右端へと移動している。身を乗り出して撮影しているかのような臨場感。それだけではない。

 このとき、観客の目線はシネマスコープの横に広い画面を左から右へと見事に横断させられるのだ。これによって初めて、作中世界への没入感が得られる。Youtubeではこれは無理だ。映画館へ行って、巨大なスクリーンを見上げて初めて、この演出は力を持つ。きっと誰しも、画面の主役たるゴジラに目を奪われ、左から右へと、まるでこの映像を撮影したのが自分であるかのように目線を動かすことだろう。映画館の狭い座席に座ったままで! これぞ体感だ!

 シネマスコープシネマスコープである意義を存分に活かしている邦画など数えるほどしかない。洋画に目を移してもその数は少ない。対してシン・ゴジラは、このカットだけでなく、常にスクリーンの四方八方へ観客の目線を誘導する仕掛けが施されている。

 

f:id:aruren:20160801233243p:plain

 空撮では奥へ。そしてテロップで手前へ。*1縦方向への視線の誘導に気を配っていた最近の映画というと、真っ先にスター・ウォーズ/フォースの覚醒が思い浮かぶ。ちとCGで負けるがあれとタイマン張れるレベルである。

 

f:id:aruren:20160801233618p:plain

 シネスコサイズは!全部使え!!とばかりのショットだ。

 

 思えば予告第一弾では東宝スコープのロゴが使われていた。知らなかったのでGoogle先生に訊いてみたところ、あれは「シネマスコープ」という名称が商標だった時代に同じアスペクト比を使っていることを示すためにあったのだとか。

 ここからは半分憶測である。

 シン・ゴジラは、映画館で映画を観ることに特有の快楽に極めて誠実な映画であると感じた。大きな画面で観客の視線を巧みに誘導することによる、ただ画面を眺めている以上の没入感、シネマスコープの快楽である。そして、その快楽は、世代をたやすく越えるのだ。東宝スコープロゴが出ていた時代も今も、姿形は違えど同じゴジラを見上げている。

 私は、映画館で冒頭のカットを目撃した時、予告編のロゴや自分がかつて出会ったゴジラ庵野秀明が以前に岡本喜八との対談で語っていたシネマスコープの良さ、日本を代表する娯楽が銀幕への帰還を果たした実感などが一斉にこみ上げてきて、思わず落涙してしまったんですね。

 いや本当にね、何が3Dだという話なわけですよ。フィルムメーカーの誇りを見せつけられるようなシン・ゴジラでした。

 ✌('ω')✌最高~!

*1:力技すぎると思わんことはない。

広告を非表示にする

23 - ソーシャルゲームやめた

 ソーシャルゲームをやめました。

 きっかけは特にありません。理由はうまく説明できません。ただ、アンインストールした瞬間から、どうしてあんなにも熱中していたのかがわからなくなりました。

 インストールしたのは、確か出張先のホテルでした。あまりにも激しく理不尽な労働に疲れ果て、少しでも労働以外の世界に触れなければ頭がおかしくなるという危機感があった気がします。耐え続けるだけの日々。成長ではなく慣れ。両肩にのしかかる停滞感の中で、このままではダメだという抗いがたい衝動が生まれました。そして、この世で風俗と競馬の次に愚かしいと定義づけていた遊びに手を出してしまったのです。いえ、嘘です。スクストのイベント限定コスチュームの大正ロマン服に脳を破壊されました。

 別に世間の多数が知らない遊びなら何でもよかったように思います。映画であろうと競馬であろうと、車でもバイクでも、読書でもアルコールでも、薬物でも何でもいい。ただ、Twitterでつきあいがある人たちが楽しそうに遊んでいたのがスクストだったので、スクストに行き着きました。

 ここははっきりさせたいのですが、スクストは本当に楽しいゲームです。着せ替えは最高だし、資材管理は要らないし、イベント時期の拘束時間が長いのは嫌だけど、センスや技術を問われないのが本当に快適だった。命かけずに気楽にやりたいんですよ、ゲームって。何より掌の中に別世界があって、プレイヤーを無条件に慕う女の子たちが画面の向こうで息づいているかのような演出がたまらなかった。だいぶクズっぽい言い方になりますが、若い女にチヤホヤされてダメになることほど楽しいことってこの世にないんですよね。

 累計すれば10万円近く課金もしたし、自分の生活に合わせてパートナーの服を着替えさせるような、わざわざ没入感を深める遊びもしていました。イベントを走ることもそう苦ではありませんでした。上位報酬を手に入れることもあり、戦力が整わない、かけたお金や時間が報われないという苛立ちも、他のプレイヤーに比べれば少なかったように思います。でも、毎月のイベントともにやってくる見せかけの幸福の下には次第に虚無の埃が積もり、やりたくてやっていたそれを、いつの間にかやらなければならないと感じるようになりました。

 事ここに至り、ふと気付きました。私は依存している。これは病である。病であるならば、その原因を取り除かなければならない。

 依存して、病んだままでも別にいいじゃないかとも思いました。でも、病であるという意識からは逃れられませんでした。ある意味それは、別の病であるのかもしれません。正常であるべしという欲求もまた、病に他なりません。

 スクストは楽しかったです。アンインストールする10分ほど前に、着せ替え試行のスクリーンショットTwitterに投稿するくらい、私はスクストを楽しんでいました。やらなければならないという義務感はときどきあれど、やらされているという強迫観念に至ることはありませんでした。

 でも、愛したものを捨てることほど心地よいことはないのです。

 今、スクストを始めてから失った多くのものが自分を手招きしているように感じています。PS4を買おう。PC向けADVゲーム(婉曲表現)をやろう。積んでるKindle本を崩そう。シン・ゴジラの公開も近い。いつか作るつもりで買ったプラモデルの箱も積み上がっている。

 ああ、でも、あのチャンネルは頼れる隊長さんを失ってしまったのだなあ、という悲しみや自責の念が、全くないといえば嘘になります。

 ま、いっか! どうせソーシャルゲームだし!

広告を非表示にする

22 - アメコミ映画の色味について雑感

 色って結構大事で、赤っぽいか青っぽいかで画面が語るものがまるで変わったりする。フルカラーコミックを念頭に置いてる(だろう)アメコミ映画では、全体の色調が結構大事にされている気がしたので、色々実例を探してみた。

 

 まず、何よりも「バットマン ビギンズ」(2005)。

f:id:aruren:20160615220433j:plain

 たとえ夜のシーンであろうとも、必ず暖色がメインになっている。霧烟る摩天楼の街ゴッサムというイメージがあれば寒色にするだろうところ、これを観た時はだいぶ感動してしまった。冷たい氷のような戦いをするバットマンが温かい色味の中に立っているとは、リアル路線でありながらも、スーパーヒーローを信じている、という主張のように見える。内容もそんな感じだし。修行してたチベットは寒色メインだけどあのシーンにも炎がつきまとっているんだよな。

 

 これから一変するのが、続編「ダークナイト」(2008)。

f:id:aruren:20160615220812j:plain

 すごいアス比最高。ともかく、とにかく寒色。これがジョーカーの狂気・恐怖、それに同一化していくバットマンという映画のストーリーが投影されていくのがすごいところだった。ヒーローを信じていたように見えた前作からは全く違う画面だし、この画面の力が数多くのフォロワーを産んでしまった、らしい。

 

f:id:aruren:20160615221140j:plain

 お前ーーーーーーーーッ!!!!!

 

 良心回路を破壊してダークナイトに戻る。この色味の関係を踏まえると、冒頭のジョーカー登場カットでしれっと寒色と暖色が同居しているスゴみにも気付かされる。

f:id:aruren:20160615221338p:plain

 前作では暖色だった世界が道化王子の登場で寒色の狂気に染まっていく、という読み方もできる。バケモノのような映画である。

 

 さて、近年のアメコミ映画のはやりを決定づけたといわれる「スパイダーマン」(2002)は、やはり暖色だった。

f:id:aruren:20160615221712j:plain

 ガラスと鉄の寒色ではなくレンガっぽい茶色のビルがたくさんあるニューヨーク、というビジュアルがすごくよかった。というか、当時中学生か高校生だった私としては、タイムズスクエア以外のニューヨークがどうなっているかを、スパイダーマンのビジュアルで初めて知ったように思う。

 キービジュアルからして真っ黄色だし。

 

f:id:aruren:20160615222020j:plain

 これは「スパイダーマン2」(2004)。やはり暖色である。ドクター・オクトパスと対決する夜のシーンでも、暖色の照明が印象的だった。「スパイダーマン3」(2007)ではサンドマンが出てきて画面を暖色に染めている。すべて、映画の明るい雰囲気をもり立てる役割を果たしている。これが冷たい色味だったり、あるいは色味に気を使わない画面だったら嫌だよなあ。

 

 これが「アメイジングスパイダーマン」(2012)ではこうなる。

f:id:aruren:20160615225755j:plain

 作風は変わらず明るいが、画面は一転して寒色系に。なーんかサム・ライミ版から変えなければならないという意図だけが先行して、内容との結びつきまで至っていないような印象でした。

 

 「アメイジングスパイダーマン2」(2014)でも傾向は変わらず。

f:id:aruren:20160615230024j:plain

 エレクトロが青基本だからといってこんなにも青いとは。ただ、アメイジング2ではグウェンとのラブロマンスシーンでこれみよがしに暖色だったりする。

 

f:id:aruren:20160615230512p:plain

 とはいえ、ラストシーンでは、ビルの影から飛び出したスパイダーマンが寒色の呪縛から解き放たれて色彩豊かに躍動しており、大変によい。終わりよければすべてよし。

 

 では、最近のメインストリーム、マーベル・シネマティック・ユニバースはどうか。

 「アベンジャーズ」(2012)の、かの有名なアッセンブル(性的な意味ではない)シーンがこれ。

f:id:aruren:20160615223258j:plain

 どちらかというと暖色だが、素の色味の方が尊重されているような。正直にいえばあんまりちゃんと観てないんだけど、色味は周囲の明るさに左右されてあまり統一されていなかったような記憶がある…。

 

 「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」(2015)の方が色味としては考え方がはっきりしていた。

f:id:aruren:20160615223720p:plain

f:id:aruren:20160615223742j:plain

 オープニングアクトは寒色。最後にロキの杖を取るシーンまでは暖色の方がいいように思うが、周辺が雪が積もって寒いから寒色。そして仲間同士が激突するハルクバスターのシーンでは、暗い内容にも関わらず、南アフリカの温かい地域だから暖色。

 つまり内容はどうでもいいのである。さすがだなてめえ。娯楽か。娯楽だ。

 

 一方、同じMCUでも「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(2016)はどうか。

f:id:aruren:20160615232818j:plain

 IMAXで、フラットな色彩を、右も左もないチーム内対決で使うセンス。白っぽいけど決して寒色寄りではなく、ありのままの色なんだよなあ。

 

f:id:aruren:20160615233150j:plain

f:id:aruren:20160615233156j:plain

 アイアンマンがリパルサーを撃つとまるで友情の絆が最後に一層の輝きを放つかのように寒色だった画面が暖色に(絶頂)。神か。リパルサー照射をキャップの盾が受け、寒色の画面の中心から太陽のように暖色の火花が散る印象的なカットもあった。しかもあれはスリットの向こう側から撮った画になっているんだよね。

 MCU、娯楽大作としてドンパチ賑やかな作品と、ちゃんと映画を撮ろうとしている作品の落差が結構大きくて、蓋を開けてみるまでどちらなのかわからないオモシロコンテンツになってきたなーと感じます。CAWSからは特に。

 

 ではでは、俺たちのザック・スナイダー監督、「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」(2016)はどうか!

f:id:aruren:20160615224305j:plain

 寒色!!(これなんだよな、という顔)

 

f:id:aruren:20160615224322j:plain

 暖色!!(そうそう、これでいいんだよ、という顔)

 

 で、ぬか喜びしているとこれが出てくる。

f:id:aruren:20160615224424p:plain

 見たくない悪夢だけど、暖色!!!(絶望に打ちひしがれる顔)

 ありがとうザック・スナイダー、ありがとうDawn of Justice。

 

 せっかくなので最後に我が国も見ておく。

 お前は誰だ、俺の中の俺!「仮面ライダーアマゾンズ」(2016)だ!

f:id:aruren:20160615224707p:plain

 う~んダークな色調。物語がやや露悪趣味だから、このくらい暗くてもいいかなって思います。あまりにもわざとらしいといえばそのとおりだし何も言えねえ。TV放送で叩かれないことを願うばかり。

 

 現行ライダー、「仮面ライダーゴースト」はどうか。

f:id:aruren:20160615225117j:plain

 明るいし色がおもちゃっぽくはっきりしている。あんまり全体の色味どうこうではないところはアベンジャーズ路線ではある。正直中身云々でなしに朝からこのドぎつい色を見ると目が辛い。

 

 ライダーはともかく、急に色味が気になったのは、今年のE3で発表されたというスパイダーマンのゲームが、どうみてもサム・ライミ版の暖色だったからなんです。

youtu.be

 全体に暖色。明るく楽しいけどカッコいいスパイディアクションが楽しめるゲームだといいなあ。PS4買うまである。

 

 以上、昨今のアメコミ映画と色味について。PS4がほしい。

広告を非表示にする

【ブギーマン:ザ・フェイスレス】物語のリスクアセスメント試行例

ブギーマン:ザ・フェイスレス - カクヨム

 

 書きました。

 本記事は、内容はさておき、製作過程のメモというか、プリプロダクションの文書記録のようなものです。内容については、前の記事をご参照下さい。

 

 品質管理というものがあります。たとえばソフトウェアでもハードウェアでも何かしらの製品を設計するとき、その設計の妥当性を検証する過程を踏み、文書化することが、より良い製品を作ることはもとよりその製品を用いたことで生まれる損害を事前に回避することにつながります。たとえば機械の設計図があったとして、クライアントの要求仕様に見合っているか、要求仕様に見合った機能を搭載しているか、その機能を実現するに足る設計であるかを検証しなければなりません。

 そのためにしばしば用いられる手段が、リスクアセスメントと呼ばれるものです。

 設計図、仕様書等を前にして、やがて生じるかもしれないリスクを徹底的に書き出し、その対処が十分であるか、十分でないならどのような対策を取るのか、対策を取らないのであれば、なぜ対策を取らなくても問題ないといえるのか。これらを文書化し、検証するのです。

 さて、物語にはプロットがあります。プロットは物語の設計図です。設計図であるのならば、アセスメントを行うべきなのではないか。ブギーマン:ザ・フェイスレスのプロットを作成した後に、ふとそんなことを思ったわけです。社会人を舐めるなよ無職学生ども。

 前説はともかく、実例をごらんください。

f:id:aruren:20160407220647p:plain

 こんなことをやったのはもちろん初めてなので、そりゃあもう手探りでした。やってみて気づいたのですが、これ、なんだかセルフで編集者的な存在と対話しているような感じで大変よかったです。ただプロットを読み直す、練り直すよりも、一覧表にして数字を付けてみると、目を背けていたものにも目を向けざるをえないものです。リスク軽減措置を実施してよかったと思うことも数多くあり。

 ただ、そもそも品質管理とはアメリカで生まれた概念で、職人がいないかの国で、技量が低い作業者たちしかいない工場でも一定の品質の製品を生産・供給できるようにするためのシステムであることを、忘れてはいけないでしょう。マーベル・シネマティック・ユニバースの悪口は言っていないし、たぶんあそこではこれをもっと激しくしたような物語の品質管理が行われているんだと思います。

 

 

広告を非表示にする