07 - 美少女が汚いおっさんに犯されるタイプの成コミは最高。

 05の続きのようになってしまうが、大島渚の『日本春歌考』に「どんなイモねえでも泣いてる時は性欲的だよな」という台詞がある。そういうわけで、児童虐待や性犯罪被害を取り扱ったノンフィクションが好きだ。この世の片隅に確かに存在する現実を直視しようとすると、我々は否応なしに彼・彼女を窃視することになる。なら別に、正しさや清さを標榜しなくてもいいじゃないかと思う。勃つからこそわかることもある。今村昌平座右の銘に「すべてチンポがかたいうちだぞ」とある。いいところだけ見よう/見せようとするのはずるい。

 いい年して道行く女子高生のスカートを目で追ってるおじさんの気持ち悪さはわかるんだけど、そういうことじゃなくてね。ポルノと現実の線引きは極めて困難だし、困難なものと理解しないと立ち向かうこともできないんじゃないかと思う。悪と戦うために一切の悪を拒絶するか、悪を見つめてその真髄を知るか。クラーク・ケントになれないなら、ブルース・ウェインであろうじゃないか。

 

  先日はこんな本を読んだ。

 頭から「性化行動」という衝撃的なワードに行き当たる。性的虐待を受けた子供は、他の子供に性的な行動をしてしまう。意味もわからず卑猥な言葉を口にしたり、それに留まらず自慰行為や、果ては無意味な性交渉にまで事は至るのだという。小学校低学年でも性的な快感自体は感じることができる。親同士の性交渉を目撃したり、性器を触られるなどの体験が、子供たちを同じような行動へ駆り立てることが、性化行動と呼ばれているのだそう。もはや完全に成コミの世界だが、レアケースではなく、言葉を与えられ分析されるほどに一般的な現象なのだ。

 本文中には、11歳・小学校六年生の時に見知らぬ男に強姦され、中学生の時には実父に強姦され、今は二児の母親であるという女性も登場した。彼女は自分の子を虐待する。自分が得られなかった幸せを自分の子が得ていることへの憤りや、幼いころの愛着形成不全が原因なのだという。

 ページを繰るたび驚きと、これが現実であるという恐怖、そしてやり場のない激しい怒りを覚える良著だった。

 

 さておき、ポルノグラフィには深さ・長さが求められないから難しいこともあるのだろうが、幼いころ、身内の汚いおっさんに犯された記憶を一生引きずり続けて決してイチャラブできない女性の話など、長編成コミ化できないものだろうか。幼女時代の性犯罪被害に始まり、性に奔放な中高生時代、記憶から逃げるように家を出た学生時代。そして幸運にして互いに信じあえるパートナーを得たものの、子を成せばその子を虐待することに怯えてイチャラブに踏み切れない、みたいなの。地元の男たちは、性を開け広げにしていた過去の彼女を面白おかしく語るが、原因が彼女の性犯罪被害体験にあることなど意にも介さないとか。汚いおっさんの他に近しい男性から日常的に性器を触られる体験があったりすると最高なんだけど、何かそういう成コミとか青年向け漫画とか、国産コマンドーとか、ないかなあ。理想のノリとしては、朝の連続テレビ小説*1

 ロリ裁判と賢者の石✌('ω')✌最高~♪

*1:実を言うと、この思いが昂りすぎて、最近は二次元美少女キャラクターを熱心に推している人々を見るたびに、「その子、性犯罪被害の体験から、旦那とのイチャラブを拒むかもしれませんよ、へへ…」みたいなことを考える身体になってしまった。