43 - 旧赤線・五条楽園を訪ねる 20190812

 物心ついた時から風俗が好きだ。特に遊郭、花街、赤線といった熟語を見ると興奮のあまり脳が沸騰して細胞がどんどん死んでしまう。文化と享楽、合法と非合法の狭間に身を置くのが心地いいのだ。働く人がいなくなった遺構なら最高だ。これぞサブカルという感じがする。

 というわけで、京都アニメーションへの献花のため京都へ行ったついで(?)に、旧赤線・五条楽園を訪ねた。

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 エリアとしてはだいたいこのあたり。鴨川と高瀬川の中洲を中心にかつては100店舗以上のお茶屋や旅館、置屋が軒を連ねていたのだという。いわゆる文化的なお茶屋は一見さんお断りだが、ここは違う。芸姑たちがお稽古に励む場はあったが、実態としては飛田新地に近い形態だったと伝えられている。というのも、2010年に官憲の手が入り、経営者らがお縄に。お茶屋組合も解散し、現在は風俗街としては完全に壊滅状態なのだ。

 かつては芸姑と娼姑の花街(京都人は「遊郭」という言葉を使われることを嫌うのだそうだ)。昭和33年の売春防止法施行後はいわゆる赤線。そして今は、兵どもが夢の跡である。

 西側の河原町通から一本折れると、いかにも新地らしい車が対面通行するのも難しいほど路地になる。表通りからの見通しの悪さも、いかにも、である。

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 本家三友の跡地。立派な唐破風を持つ色気と風情ある建物である。唐破風のてっぺんをよーく見ると「樓友三」と書かれている。これを見られただけでも来た甲斐があったというもの。今も高級ソープレポなどを見ると「登楼」という表現を使う人がいるじゃない。

 界隈を歩き回ると、多くの建物が現代的な建築に置き換わっていることに気づく。戦前に建てられたと思しき遊郭建築は1/3ほどか。赤線時代の建物が1/3で、残り1/3がごくありふれた住宅になってしまっている。

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 往時を偲ぶような町並みは刻一刻と姿を消している様子。まさに消えていく過程が今だ。

 

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 いかにーも赤線時代に旅館業に転業した感じの建物。味のある建築だが、もはや廃墟。自転車があるということは人が住んでいるのだろうか。ちなみにこのすぐそばに怖い人たちの事務所がある。思わず足早になってしまう。今はこうして観光もできるし写真も撮れるが、ほんの10年前なら、同じことをしたら鴨川の鮎のエサになっていたかもしれない。

 

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 小洒落たタイル張り。今の利用状況は通りすがりにはわかりかねた。

 一方で、当時の陰陽から建物のよさという陽だけを切り取って保存するような、リノベーション済みの旅館、飲食店も点在する。旅館については格安のゲストハウスのようなものが中心で、客の多くは外国人と思われる。

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いっぺん泊まってみたいリノベーション済み旅館と、鴨川沿いの小綺麗な店舗群。

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 こちらは高瀬川沿いのバー。ここまできれいにされると風情がないな、と思わないでもない。
 屋号っぽいものを探す。

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  二枚目は驚くべきことに住人がいる。最高気温が38℃に達する酷暑だったが、表の扉を半ば開き、高瀬川からの涼風を室内に取り込んでいた。

 

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 これは築102年(大正6年!)、かつては芸姑さんらが稽古に励んだという歌舞練場「五條會舘」。オーラがすごい。取り壊しが決まっているとのことで、いつまで見物できるかも定かでない。

 

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 エリアの外れにあるアパート。住人がいる気配はなく、ほぼ廃墟である。街のバックボーンを思うと、かつての住人についてもなんとなく想像がつく。

 

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 のどかに流れる高瀬川

 お茶屋の跡、お茶屋が転業したらしい寂れた旅館かアパートのようなもの、そしてわずかにリノベーションされた観光客向けの店舗。だが今の主役は住民のようだ。

 見物しに行ったその日にも、相当な築年数と思われる木造家屋が取り壊されている現場に遭遇した。タイル張りのカフェー建築の方はもうしばらく生き延びてくれそうだが、本家三友にしてもいつまで残っているかわからない。歓楽街としての死から観光地としての生まれ変わりが遅々として進んでいない様子なのは、訪れる者としては幸いかもしれない。気力を吸い取られるような寂れた空気が嫌でも印象に残るのだ。

 

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 エリアの端にはこんな祠のようなものが点在している。花街の区切り?

 考えようによっては、今も事務所を構える怖い人たちのおかげで、かつての雰囲気が生き延びていられるのかもしれない。なんとか折り合いをつけて花街から赤線への時代の流れを保存できないものか。完全に消える前にもう一度くらいは訪れてみたいと思った。

 

以上