49 - ドキュメント不妊治療 リョウコさん(36・仮名)の場合 [前編] 普通だった私の……

『ドキュメント不妊治療 リョウコさん(36・仮名)の場合 [前編] 普通だった私の……』
週刊月宿女性フィフス2019年12月第3週号
 
 今号と次号の特集は『不妊治療』。実に6組に1組のカップルが不妊に悩んでいるという、まさに不妊大国ニッポン。先日は、1年あたりの出生数が90万を割ったという衝撃的なニュースが列島を駆け巡った。では、子供が欲しいのに授からない多くのカップルの希望である『不妊治療』の実態はどうか。本記事では、実際に不妊治療を受け、そして最終的に大きな決断をしたリョウコさん(36・仮名)の体験談をお伝えする。なお、本文中の記述には細心の注意を払っているが正確ではない可能性があり、不妊治療を検討されている方は、必ずお近くの病院・クリニックを受診し、正確な情報を収集して欲しい。


『普通』の私、最初の異変
「ずっと、私は『普通』だと思っていたんです」

 そう話すのは、今回取材に応じてくれたリョウコさん(36・仮名)。とある新興の中高一貫女子校を卒業し、有名私大の社会学部を卒業。10年前に一部上場の大手商社に勤める夫と結婚し、専業主婦となった彼女は、順風満帆な人生を送っていた。

「夫とは学生時代から交際していました。半ば冗談で『子供ができたら籍入れようね』と彼は言っていて。だから、もしかしたら、子供ができなかったら彼は私を捨ててしまうんじゃないかという怖さを、私はずっと抱えていました。彼の方からプロポーズされた時は嬉しかったです。母親とか、そういう役割としての私を必要としてるのではなく、私を愛してくれてるんだって実感できたから」(リョウコさん)

 かつては普通。今や人も羨む専業主婦。平成30年の厚生労働白書によれば、専業主婦の世帯は世帯全体の33%にすぎない。わずか1/3であり、残りの2/3は共働きである。専業主婦>共働きの構図が逆転したのは90年代半ばであり、当然ながらこの背景には景気の後退がある。つまり、今や『普通』とは、勝ち組の証である。専業主婦を養えるような男性は、勝ち組なのだ。
 しかしそんなリョウコさんの人生にも暗雲が立ち込めてくる。

「子供ができなかったんです。私が結婚したのは26の時でしたが、その直後、いえ、結婚以前から、早く子供が欲しいと思っていました。夫も賛成してくれましたし、協力もしてくれました。でもできなかった。最初はそういうのは時の運だと思っていたのですが……」(リョウコさん)

 それでもいつかは、と楽観視していたリョウコさん。しかし結婚3年目、29歳。30の大台を目前に控えた彼女は、次第に焦りを感じ始めた。

「子供が成人する時に50歳って、嫌じゃないですか。だから逆算すると、30までには産みたかった。それに、できればふたり欲しかったんです。するともう猶予がない。体力だって衰えますから、ふたり抱えて子育てするなんて、20代か、遅くとも32、3歳が限界です。専業主婦でしたから、夫に助けてもらうわけにもいきませんし……」(リョウコさん)

 そしてリョウコさんは、都内にある不妊治療専門医院・小田切レディースクリニックの門を叩いた。



1年授からなければ『不妊
「健康な男女が避妊をせず、通常の夫婦生活を送っている場合、おおむね結婚して1年で80%以上、2年で90%以上のカップルが子供を授かります。日本産科婦人科学会の2015年の定義によれば、結婚して1年で子供を授からなければ不妊症となります。不妊症は厳密には疾患ではなく症候群です。ですから、『不妊症かもしれない』とお考えになって当院を受診される時点で、既に不妊症である場合が大半です」

 そう語るのは、前述の医院で10年にわたり数々の悩めるカップルに接してきた、医師の李野田真乃さん。

「10組に1組のカップルが不妊症ということです。そして晩婚化の進行に伴い、昨今ではこれが6組に1組まで増加していると言われています。不妊症は珍しいことではないのです」(李野田医師)

 リョウコさんの場合は既に結婚して3年。十分に不妊症と言える状態だった。

「当院では来院された方の年齢や環境に合わせた治療を十分なカウンセリングを行った上でご提案しています。リョウコさんの場合は、ご本人がまだお若かったこともあり、検査と並行してタイミング法からスタートすることにしました」(李野田医師)

 タイミング法とは、一般的に妊娠しやすいと言われる排卵日の2日前~当日に性交を行うこと。リョウコさんの場合は、基礎体温表から正常に排卵が行われていることはわかっていた。そこでクリニックでは超音波検査とホルモン検査を行い、リョウコさんの正確な排卵日を割り出した。

「超音波検査は、卵胞の発育状態を直接モニターします。また子宮卵管造影検査により、大切な卵子精子と出会うための卵管がふさがっておらず、正常に通じているかを検査します。リョウコさんにも、その他頸管粘液検査などの基本的な検査をひと通り行い、すべて正常との結果でした。ですがこれは、不妊症ではないことを意味しません。あくまで、妊娠のスタートラインに立てていることを確認するものです。また、リョウコさんと旦那様には、ひとつだけ、不妊治療の開始時点で実施できなかった基礎的な検査がありました。精液検査です」(李野田医師)

 ある調査によれば、不妊治療を行うカップルのうち、女性側のみに原因があるケースは、なんと約4割にすぎないのだという。原因不明が1割。残りの約5割は、男性不妊なのだ。
 だがリョウコさんは、夫に相談せずにひとりでクリニックを訪れていた。



夫に秘密の不妊治療……その理由
「夫が子供を欲しがってくれる、私と同じ気持ちでいてくれるという自信が、なかったんです。セックスレスではありませんでしたし、避妊したがるようなこともありませんでした。でももし、彼が『治療してまで欲しくない』とか、『自然に授からないなら、そういうものだと思って、諦める』という考えだったら?」(リョウコさん)

不妊治療は、女性だけで行うものでは決してありません。原因という科学的な側面からはもちろんのこと、不妊治療で子供を授かるのはお母さんではなく、ご夫婦だからです。身体への負担、経済的負担など、夫婦ふたりの問題として向き合うことが大切です。ですが、男性側が治療に消極的なケースはしばしばみられます。子供を授からないことは病気ではない、病気でないなら高い金額を支払って治療することは合理的ではない、と考えられる場合が多いようです。そうした夫婦のすれ違いから、離婚に至ってしまったケースもありました」(李野田医師)

 そして治療開始から1年。一向に子供を授からないリョウコさんは、ヒューナーテストを受けることにした。
 排卵日の3日ほど前から、子宮の入り口には透明で粘り気のある腟分泌液が多く分泌される。性交後にこの腟分泌液を採取し、液中を上昇する精子があるかを確認するのが、ヒューナーテストである。もしもヒューナーテストが合格であれば、精子に問題はなく、女性側の問題がないことと併せて、妊娠可能性が極めて高いといえる。
 リョウコさんがなかなかこのテストを受診できなかったのは、ひとえに生活の都合だった。



義母の過干渉、そして
「夫の実家が私たちの自宅から近く、毎週日曜日の午前中、義母が私たちを訪ねてくるんです。お茶を飲みながら世間話をして、果物や煮物を頂いて、子供はまだなの、と催促される。ヒューナーテストは仲良ししてから5時間以内、と先生から言われていました。夫と仲良しするのはいつも土曜の夜でしたから、義母の相手をしていてはテストに間に合わないんです。夫は母親が訪ねてきてくれて嬉しそうですし、関係の悪化が怖いので今日はちょっと、と断りづらく、そもそも不妊治療のことは夫には黙っていたので……」(リョウコさん)
「ヒューナーテストのため、夫が出勤する前の朝に、夫を誘って仲良ししました。正直鬱陶しそうで、私に付き合ってくれているという様子でした。学生時代からの交際でしたし、もう朝からするような関係ではありませんでした。週末の仲良しも、ほとんど手順の決まったスポーツみたいで、愛を実感するというよりは、まだ愛されていることを確認する目的になっていました」(リョウコさん)
セックスレス不妊の原因になることもままあります。当然、ケースによっては、セックスレスの解消も私たちの治療の一環です」(李野田医師)

 そして新たな事実が明らかになる。リョウコさんの夫の精子が極端に少なく、また運動性にも乏しいことが判明したのである。

「リョウコさんご夫婦の場合は、男性不妊が原因であることが示唆されました。詳細な検査を行い、治療へと駒を進めるためには、旦那さんの協力が不可欠です」(李野田医師)

 リョウコさんは夫に通院の事実を打ち明けた。そしてふたりでクリニックを訪れ、精液中の精子の数や運動性を調べる精液検査を行った。
 精液の採取はマスターベーションで行う。採精室には成人向け雑誌やアダルトDVD、モニタが備えられていることが一般的だ。受診者はそこでマスターベーションをし、精液をカップに採取する。当然、前後のカウンセリングは男性の医師や技師が行う。
 検査の結果は衝撃的だった。

「男性不妊の9割は造精機能障害であり、造精機能障害は3通りに分類されます。精液内の精子がまったくない『無精子症』が一番重篤ですが、精巣や精巣上体に精子が存在する場合は、顕微授精という手段があります。顕微鏡で直接確認しながら、卵子の中に細いガラス針で精子を直接注入するのです。医学的には、卵細胞質内精子注入法(ICSI)と呼ばれます。よくテレビなどで紹介される映像を想像してください。次に、精液内に精子が存在するものの標準に比べ極端に少ない『乏精子症』です。軽度の場合はタイミング法での受精を試みます。重度の場合は顕微授精か、精子卵子を培養液内に入れて自然に受精するのを待つ一般的な体外受精が用いられます。3番目が精子の数はあるものの運動性が低い『精子無力症』です」(李野田医師)
「リョウコさんの旦那さんの場合は、このうち『乏精子症』と『精子無力症』の複合でした。数は基準の5%、運動性能は20%だったのです」(李野田医師)
「自分に原因がないことに少し安心しました。ですが同時に、私は何を悩んでいたのだろう、という無力感に苛まれました。ずっと普通だった私の人生で初めて普通じゃなかったものは、夫の精子だったんです」(リョウコさん)


[後編]は2019/12/31更新予定




※本記事はフィクションです。また、㈱スクウェア・エニックスおよびゲームアプリ『スクールガールストライカーズ』とは一切関係ないファンテキストです。