53 - 「PSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTOR」評

 冲方丁が好きなので、2以降のPSYCHO-PASSは非常に肌に馴染む。もちろんその多くは「これ○○で観たわ」というクリエイターへの彼氏面にすぎないのだが、それにしたって「航空機事故の生存者」「善意の武器商人」「ダイヤモンド」「AP爆弾」「TRPG」などの要素を見て、これシュピーゲルやんけと思わないなら冲方のトーシロだ。しかし、表面的な要素以外にも、特に近年の冲方作品に通底する大きな要素がある。「怒り」だ。

 理不尽への怒り。他人の運命を無邪気に・愚かに操る者への怒り。弱者を救わないシステムへの怒り。そんな彼が、古典的な管理社会設定のPSYCHO-PASSへ本格的に関わると、どんな作品が生まれるのか。正直言って、古典的な管理社会に古典的なハードボイルド、古典的な本を読む悪役との古典的な因縁が描かれる1作目は、サイバーパンクから人体改造のような一般受けしない要素を排除しわかりやすく携帯電話を持ち込んだことも含め、まったく好みではなかった。褒めそやしているやつら全員アホだとまで思っていた。冲方が参加した2はかなり好みになったが、まだ遠慮しているな、という印象だった。そして3で万歳三唱した。PSYCHO-PASS 3、そしてFIRST INSPECTORは、怒りの先にある希望を描いていたのだ。

 

 

 

※この文はPSYCHO-PASS サイコパス 3 FIRST INSPECTORの致命的なネタバレを含みます※

 

 

 

 

 中盤までは、至って凡庸な作品である。封鎖された公安局ビルを舞台に、凶悪な国外の傭兵と留置所から脱走した犯罪者たちからなる梓澤廣一率いるテロリスト集団と、最大の武器であるドミネーターを持たない公安局刑事課の刑事たちが都知事・小宮カリナを護衛しつつ死闘を繰り広げる。まあ、多少SF要素のあるダイ・ハードである。大枠に特に面白みはない。アイデアにしても、何が出てくるかと思えば超小型の昆虫型ハッキングドローンである。虫がピカピカ光ると摩訶不思議! スーパーウルトラハイパーミラクルハッキングであれよあれよというまに公安局ビルのシステムが乗っ取られてしまう。うわー、つまんねー。邦画か? 俺たちの嫌いなタイプのハッキングが雑な邦画か? 「AI崩壊」や「スマホを落としただけなのに」「仮面ライダーゼロワン」を仕事にして叩こうとするゴミandカスfeat.オタクどもが大挙して観に来ることを忘れたのか? 六合塚の資産が悪用されたのであれば、そのことに気づいた唐之杜が「ちくしょうやられた」とひと言悔しがるセリフでも入れれば成り立ったのに。そしてアクションシーンがあれば景気よく、ノルマのようにメインテーマが鳴り響く。食傷である。霜月課長の「こんなこともあろうかと!」のような部分ごとの盛り上がりはあれど、根本的につまらない。さらにセリフもつまらないから致命的だ。数カ所に分散した一課のメンバーたちに代わる代わるスポットが当たるが、チームAが知った事実をチームBへ共有するシーンのセリフが省かれない。結果として、両方を見ている視聴者は同じ情報を二度セリフで聞くことになる。これが一度ではなく、何度もある。時間の無駄であり、技術が低い。情報共有のシーンを、聞かされて驚くところから始めるとか、通話を切るところから始めるとか、アクションを絡めるとか、やり方はいくらでもあろう。アクション映画としても、サスペンス映画としても、これでは二流だ。
 しかし、炯と灼の手にドミネーターが渡り、灼が梓澤の考え方に気づいたあたりから作品が一変する。女心を利用した口紅バイオマーカー、低層階を封鎖した有毒ガスの正体、スーパーハッカーの万能性を信じつつも限界を見せる唐之杜志恩の奮闘! 個別のアイデアがどんどん面白くなる。狡猾な梓澤の基本スタンスが「選択を強いる」「結果に自己責任を負わせる」ことと灼が気づくと更に面白くなり、テンポもよくなる。しかし加速しながらも、13thインスペクターとなった炯が静火の指示に従うところのような、人物の葛藤が乗るシーンではじっくりと所作が描かれるのがたまらない。これだよこれ、と興奮。前半のおもんなさは一体なんだったんだ、と困惑さえする。そしてとうとう明かされたビフロストの正体に、興奮は絶頂に達するのだ。正直明かされないんじゃないかと心配した。文明曲線って一体なんだったんだ、なあ。

 

 


※ここからは更に致命的なネタバレを含みます※

 

 


 ビフロストの正体は、本来シビュラのデバッグシステムだったものが悪用され、シビュラの盲点=バグを生産し続けるシステムに成り果てたものだった。歴代のコングレスマンたちは、自ら作り出した盲点を利用し、インスペクターと狐を使って犯罪を指揮し、巨万の富を築いていた。言い換えるなら、法の内にあって、法の抜け穴を作り続ける存在だ。シビュラを法とするなら、コングレスマンたちは、一体何に相当するのか。彼らを悪と設定する裏に、どんな怒りがあったのか。冒頭、冲方丁は怒りの作家である、という意味合いのことを記した。そして、かっこいい小道具を用いる舞台設定としてではない意味合いのSFは、多くの場合、現実にフィクションのレンズを翳して作った幻像を含む。さあ、たまにはアニメを見ながら頭を使おうじゃないか。法の内にあって、法の抜け穴を作り続ける存在とは。選択を強い、結果に自己責任を負わせる存在とは。誰の頭の中にも、それぞれが想像できる限り最も大きな悪が思い描かれることだろう。そしてその悪に、かつて抱いた怒りを思い出すだろう。子供なら、教室に身勝手なローカルルールを敷く教師やカースト上位層かもしれない。学生なら、自分の経験だけでものを言い、理想や期待を押しつけ、子供の思いに耳を貸さない親かもしれない。会社員なら、労働基準法をいいように解釈する会社や、曖昧な指示で責任を回避しポジショントークに終始する上司かもしれない。市民にとっては、自分の票田の利益を最優先にしよりよい社会のために行動しない政治家かもしれないし、株価指数のグラフを上向かせることばかり考え富の再分配を蔑ろにする政府もしれない。3.11の被災者なら原子力行政*1非正規労働者なら労働者派遣法を改正した人々や、窮状をお前の選択の結果だ、自己責任だと罵る安全地帯の人々を思い浮かべるのかもしれない。テレビ放送された各事件における悪も、サブプライムローン新興宗教など、法の内にあり結果に自己責任を負わせるものだった。これだから、冲方丁のファンはやめられないのだ!
 しかし、ビフロストは燃え、希望が残る。梓澤は、シビュラ=法を神と崇めていた。法の枠内にある限りすべては正しく、強いられる選択も自己責任も、問題視されるべきことではないからだ。彼にとっては、自己責任を強いられることこそが、最も法に則しており、シビュラ的なのだ。しかしそんな彼を単に独善的で凡庸な男と否定したのもまた、シビュラだった。法は時代に合わせて進化するからであり、人が苦しむのは法の未熟ゆえ。苦しむことが正しいのでは決してないと、梓澤を――梓澤から想像される、お前の苦しみは自己責任と笑うすべての悪を――はっきり否定するのである。シビュラの進化にAIを絡めてきたのもまた心憎い演出だ。物語が現実に対照を持つ幻像であることをさり気なく主張するのだ。
 さらに畳み掛けるように、シビュラを進化させる希望が現れる。シビュラは犯罪係数がさして高くない梓澤を、危険とみなして殺害しようとする。しかし、最もシビュラ的な個人、免罪体質者である灼はドミネーターの引き金を引かない。ドミネーターには引き金がついているのが好き、それを引く引かないの選択は持つ者に委ねられているからだ、と言う。法を進化させるのは、個人の良心である。ひとりひとりの良心が、いつかそれぞれが思い描く悪を駆逐する法となる。それこそが最もシビュラ的な行いなのだ。怒りに駆られない、なんとも美しい結末だ。
 以前、日本人にとっての神とは法である、という評を見たことがある。その評自体は少し飛躍しすぎだったが、法と限定せず、もう少し広く、規範やルールを最も大事にすると言い換えると、当を得ているように思う。いい子にしなさい。ルールを守りなさい。誰だって一度は言われたことがあるだろう。じゃあそのルールは絶対なのか、という疑問を持ったこともあるだろう。主に思春期の頃に。もしも神がいれば、神はいつも正しいから絶対である、という裏付けができる。一方我々は、ルールそれ自体を信仰しがちだ。しかしそれが希望にもなる。ルールは良心によってよりよいものへと変えられるからだ。ルールが悪しきものならば、それを信仰する者たちを燃やすこともできる。
 ビフロストを燃やしたのは、慎導灼と炯・ミハエル・イグナトフと、法班静火だった。北欧神話におけるビフロストがラグナロクの時にスルトの火によって燃え落ちる虹の橋とされていることと、三人の名に火が入っていることは意図的なものだろう。冲方のやることだから(彼氏面失礼)。そしてビフロストに直接手を下した最も大きな火である法斑静火(ほむらも火だ!)の名に法が入っていることもまた、意図的なもののように思える。が、これ以上は、どう頑張ってもオタクの妄言になってしまいそうだ。

 語られたことをどう受け取るかは、受け取った者に委ねられている。しかし、どうにも猿真似感の抜けない中盤までに目を瞑れば(あるいはそこが好きな人も多いだろう)、一見の価値がある作品だ。新型コロナウイルス禍の影響で映画館が閉まっていても、なんと、Amazonプライムビデオで配信されているらしい。週末の引きこもりのお供には最適だろう。あの、でも、プライム会員なら無料で観られるって、先に知りたかったな。冲方許さねえ。

*1:なお、冲方丁は3.11の被災者であり、その当時の激しい怒りを綴った文章がSFマガジン2011年7月号「3・11後の想像力 10万年後のSF」に掲載されている。