56 - ある日の隼坂翠の愚痴 あるいは80-58-79について


○隼坂翠 月宿町某所


「谷間が欲しいなあ、って思った時期があったんだよね。

 いや、冗談じゃなく、真剣に。その頃は真剣だったっていうか。 

 ……あ、わかっちゃった?

 そう、小春のこと。

 いいよねえ。わたしもあんな谷間に恋い焦がれる時期があったというわけで。

 ていうか、誰でも一度はあるものじゃない? どどーん、きゅっ、どどーんなグラマラスボデーに憧れる時期。

 ない? じゃあ、わたしはあったってことで。

 ちょうど高校に入ったくらいだったかなあ。とにかくグラマラスボデーにモーレツに憧れたわたしは、寄せ方とか上げ方とか夜な夜なメッチャ調べてさ。

 あれ、なんでだったのかなあ。

 今にして思えば、わたしは本能で、競争の始まりを察してたんだと思う。

 みんな同い年でも、そろそろ違いがはっきりしてくる。みんなが、起こり始めた身体の変化に戸惑う時期を通り過ぎて……完成形が見えてくる。とても女らしい身体になるコと、そうじゃないコの間に見えない線が引かれ始める。

 あとは、男の子の目線かな。

 みんなして、女の子のことを顔や身体、仕草や態度で値踏みし始める。すると、その値段が高くなるように振る舞うコや、競争にただ戸惑うだけのコ、そういう競争から距離を置いて値踏みされることから逃げるコが出てくる。

 でもみんな、値踏みってのがどういうことなのか、全然わかってないんだよね。

 わたしもそうだった。もう少し大人になれば、男ウケと女ウケの差とか、自分が可愛いと思うものと可愛いと言ってもらえるものの差に悩んだりもするんだけど。まあ、それ以前だったし。

 こう、わかるかな……ピュアなグラマラス願望っていうか。

 わかんないか。ふーむ。

 まあそういうことで、わたしはその日の朝も前屈みになってブラを着け、朝ごはんには千切りキャベツを食べ、行きがけに豆乳を買って登校したわけ。訊かれたら「ゼッタイぱいんぱいんになるからなー」とか答えて。ちなみに紅茶味が好きです。

 で、その日の放課後。

 わたしは小春に相談があるって言われて呼び出された。保健室に。

 なんで保健室? って思うよね。

 でも、内緒話は保健室ってのが、なんでかわかんないけどあの頃の定番だったんだよね。

 で、その小春の相談ってのが、全然要領を得なかったんだけど……要は『男子に胸を触られた』って話でね。

 そりゃ怒ったよ。誰だか知らないけどぶん殴ってやるって勢いでさ。

 でも、どんなに訊いても、小春は誰に触られたのか、言おうとしなかったんだよね。

 小春はわたしが話を聞いてくれて、怒ってくれればそれでよかったのかもしれない。気が弱いタイプだったから怒れないし、かといって黙っていれば自分の中にモヤモヤが残っちゃうし。

 正直釈然とはしなかったよ。だって明らかなセクハラだし。

 小春、泣いてたし。

 でも、学校って難しいし。わたしが話し相手になって、小春の気が晴れるなら、それでいいかなって思った。

 それに……小春の胸は当時から大きかったし。

 クラスどころか学校一って、男子が噂してたのを聞いたんだよね。

 そんな状況で、わたしが騒いだらどうなると思う? 小春はもっと傷つくことになる。

 だからわたしは、黙って聞き役に徹することにした。

 でも翌朝から、見える世界が変わっちゃったよね。

 ブラとかもう着いてりゃいいやってなったし。千切りキャベツばっかり食べるのも、急に馬鹿馬鹿しくなっちゃったし。

 でも豆乳は飲んでた。いやー、だってわたしが毎朝通ってたコンビニの、豆乳の品揃えがさ、急に充実しちゃったのが申し訳なくってさ。あれゼッタイ豆乳のコってあだ名つけられてたよ。

 でさー……

 一回で終わらなかったの。

 最初の相談から、二週間くらい経ってたかな。

 またわたしは保健室に呼び出されて、小春に相談された。やっぱりまた男子にいたずらで胸を触られたって話で、誰がやったのかは言わなかった。

 それから、わたしは小春から目を離さなくなった。体育の授業中とか休み時間とかも、ずっと自分の視界に小春を入れるようにして、登下校もなるべく一緒になるようにした。

 小春が言わないなら、わたしがその誰かをとっちめてやろう、ってさ。

 それでも、三回目があったんだよね。

 さすがにわたしも小春を問い詰めたよ。怖がってばっかりで怒らない小春に苛立ちもした。先生に言おう、両親に言おう、いや、それより警察に言おうって小春を励ました。もしもそれで小春が嫌な思いをするなら、わたしが守るくらいの意気だったし。

 でもさー……

 結局、どんなに問い詰めても、小春は誰がやったのか言わなかった。

 わたしは聞き役に徹して、小春の代わりにただ怒るだけ。

 じっとしていられなかった。

 性格なのかな。わたしは、小春を泣き寝入りさせておしまいにするのだけは、ゼッタイに嫌だった。

 殴りたいとか、法で裁かれて欲しいとかじゃないよ。

 ただ、それをやった誰かに、小春が苦しんでるってことをわかって欲しかった。

 それに……ちょっと気になったんだよね。

 二回目があってから、わたしはずっと、小春の身の回りに気を配ってきた。ただ小春を見てるだけじゃなくて、小春がひとりになるところを狙ってるやつがいないかとか、やたら小春を見てるやつがいないかとか、とにかく小春に嫌な目を向けるやつがいないか、細心の注意を払ってた。

 それでも三回目が起こった。どうして?

 誰が、どこで、いつ、どうやって?

 それで、わたしは男子のひとりを捕まえて、問い詰めてみることにしたってわけ。

 いつもそこそこ話してた男子でね。誰にも言わないで、って言えば、仲間ウケみたいな軽い気持ちで言い触らしたりしなそうな、結構いいやつでね。

 それでも、ふたりだけで話がしたいって誘って、小春のことを切り出したら、ちょっと残念そうな顔してて、あーしまったってなったんだけど。

 まあそれはいいや。

 その男子の答えは、びっくりだった。

 誰も触ってない。

 少なくともその男子が知ってる限り、小春の胸を触った男子はいなかった。マジデカいよな、って話題にすることは、まああったみたいだけど、それだけ。

 でも、それを聞いた時、びっくりと同じくらい、腑に落ちたような気がしてたんだよね。

 それでその日の放課後に、わたしは小春をファミレスに誘った。

 ……わたしは訊けなかった。

 もしも、もしもだよ。

 小春の言ってることが本当で、わたしが話を聞いた男子が嘘をついていたら?

 わたしはもう、小春の友達じゃいられなくなる。小春も、わたしっていう話相手を失くすことになる。

 結構、クラスでの小春の立場、ヤバくってさ。気の弱い、男子に人気のコって、どうしてもそうなるし。わたしがいなかったら、たぶん女子グループに目をつけられて、胸を触られるのと同じくらい辛い目に遭ってたし。

 じゃあもしも、逆だったら?

 小春が嘘をついていたら?

 ……あの時は、直感レベルでしかわかんなかったけど、今ならわかる。

 小春はね、わたしより大人だったんだよ。

 たまたま、胸が大きいばっかりに、わたしよりずっと多くの目線に晒されてきた。

 だから、周りが自分をどう値踏みしているかもわかってた。

 そんな小春が、「ゼッタイぱいんぱいんになるからなー」って言って毎日豆乳飲んでるわたしを見たら、どう思う?

 妬ましかったのかな。

 馬鹿に見えたのかな。

 子供だったのかな。

 少なくとも、小春にとってのわたしは、『下』だったと思う。

 だからああやって、こんな辛い目にあったの~って訴えるのはね、ある意味では、自慢だったんだよ。

 自分はこんなにも価値があるんだ、っていう。

 ……まあ、ね。女としての価値で延々と不毛な競争をし続けるのが、女のサガみたいなもんだしね。

 でもその時、わたしはそういうのに、心底嫌気が差しちゃってさ。

 小春と争わなければ、小春と友達でいられるし。

 小春の考える、変化の先の完成形と、わたしのそれが違う方向性なら、競争することもないし。

 だから谷間なんて要らないし。

 それから少しして、わたし髪にメッシュ入れたんだよね。

 これは、降りたっていう証。

 わたしは誰とも争わないっていう、白旗みたいなもん。だって、男子にモテる女の子はメッシュなんか入れてないじゃん?

 小春は二度と、わたしを相談に呼び出すことはなかった。

 うーむ……

 ……ねえ、キミはどう思う?

 あの時の小春、何を思ってわたしを呼び出したのかな。

 小春の胸を触った誰か、本当にいたのかな。

 小春、どうして泣いてたのかな。

 ……ごめんね。

 猫ちゃんに訊いても、しょうがないよね。

 あー、喉乾いた。喋りすぎちまったぜ。

 久しぶりに豆乳飲みたくなっちゃった。

 紅茶味って、まだあるかな?」

 



 

※本記事はフィクションです。また、㈱スクウェア・エニックスおよびゲームアプリ『スクールガールストライカーズ』とは一切関係ないファンテキストです。

 

 


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