13 - 8文字で叫ぶ映画『イニシエーション・ラブ』感想

 その昔バブル景気というものがあったらしい。*1映画『イニシエーション・ラブ』の舞台である1987年は、まさにそのバブル景気まっただ中の時代だ。過熱する消費、見栄と虚飾に国民総出で泥酔した数年間。一説によればキリストを超えたという前田敦子のパーフェクトな笑顔は、1987年という時代を背負ったとき、途端にその色合いを変える。強すぎる光が生み出したあまりにも濃い影とひとつになったとき、前田敦子は、紛うことなき一流の女優として銀幕に輝いていた。あっちゃん最高!

 

 原作は、切れ味鋭い叙述トリックで、クソみたいな恋愛小説がサイコホラーに様変わりする痛快な作品だ。そして映画では、クソみたいな恋愛小説パートの絵に描いたように可愛い女の子を、前田敦子が虚飾満天に好演している。あっちゃん最高!

 恋愛クソ邦画のクソっぷりがバブルの虚しさと重なることで、前田敦子の眼差しには、まるでヨノナカが溶けこんだような真実味が宿るのだ。これがつまらないわけがない。あっちゃん最高!

 そもそも原作からして、「このテンプレうぜえ」と感じることで、読者はトリックに引っかかってしまう。テンプレを勝手に読み取ってしまうのである。そして、前田敦子のテンプレ可愛い女の子(現代の言葉だとサークルの姫になる、たぶん)が、テンプレをきちんと体現できているから、イニシエーション・ラブは面白い作品になった。初見の人は、そこにテンプレを思わず読み取ってしまうだろう。なぜなら、前田敦子は可愛いからだ! アイドルグループをずらっと眺めても、心底可愛いと思える女の子はそうそういない。だが前田敦子はキリストを超えたから、姫を演じることくらい余裕綽々だ。絵に描いた餅でも、上手に描けば芳ばしい香りを感じられるのだ。あっちゃん最高!

 車も音楽もファッションも、時代の要素たる記号たちがみな虚飾として演出されているから、素直なノスタルジーなどありはしない。貫かれているから、結末を知っていると全てがジョークになる。音楽がいちいち笑いを誘い、久しぶりに映画館で腹を抱えて笑ってしまった。正直、原作を忘れ、素直な気持ちで前田敦子との甘い時間を楽しもうと思って劇場へ足を運んだのだが、雑なCGで前田敦子のまわりに花が舞ったとき、もうこらえきれずに吹き出してしまった。あっちゃん最高!(このくらいのネタバレは許してほしい)

 最後の1カットにおける前田敦子の表情がよかった。あの顔のお陰で、繭子の、ひいては前田敦子の格を落とすことなく物語が閉じた。ああ、もうアイドルとか関係ないのにアイドルとしての神秘性まで守られたような気分だった。あっちゃん最高!

 

 前田敦子の主演作をいくつか拝見するに、なんだか日本映画界総出で前田敦子の上手い使い方合戦をしているかのような空気まで感じられる。人の心をつかむ美人はそれだけで物語なんだ。アニメはキャラデザ、映画は女優だ!あっちゃん最高!

 前田敦子とイニシエーションしたいばかりの人生だった。私からは以上です。


*1:おれはそのころ可能性にあふれた23対の染色体だった。なぜこうなってしまったのだろう。