21 - 話を聴けないコミュ強者(東北発☆未来塾 2016年1月 『聴くチカラ』第3週)

 掲題の通り。ちょくちょく視聴している番組であまりにもヤバい光景が放送されていたのでご紹介する。

 

東北発☆未来塾 - Wikipedia

東北発☆未来塾』(とうほくはつみらいじゅく)は、NHK教育テレビジョンNHK Eテレ)で2012年4月6日から放送されている東日本大震災復興支援のための教養番組である。

 東日本大震災で多大な被害を被った東北出身の若者たちが、毎回講師として招かれる各界の著名人らから『未来を創るチカラ』を学ぶという触れ込みの番組です。内容が特に震災とつながらないことも多い。若者が学ぶ系番組の八割がゴミであることはオタクならみんな承知だろうし、カタカナ書きのチカラに気味の悪さを覚えないようなやつは信用できねえ。つまり、毎週正座して観るような番組ではない。

 

第1週「ガンジー和尚の聴くチカラ~傾聴への道は寺から発す~」

新年最初の未来塾は「聴くチカラ」。講師は、宮城県栗原市にあるお寺の住職・金田諦應(かねたたいおう)さんです。震災直後から、延べ2万人以上の被災し た人たちの声に耳を傾け、心のケアをしてきました。まもなく5年、被災者の悩みや不安は尽きません。なぜ、悩みを“聴くこと”が心のケアになるのか?金田 さんの経験からひもといていきます。 

 今月はこんな内容。このところ、受講者が東北出身というだけで、そんなに(ぶっちゃけほとんど)東北と関係ない特集が続いていた。それもあって、これは新年早々『あの日 わたしは』を多少カジュアルにしたような話が見られるかな~?と期待を高めていた。そして、3週目にして、斜め上方向へ裏切られた。

 

第3週「ガンジー和尚の聴くチカラ~言うは易(やす)く “聴く”は難し~」

 1月第3週は、傾聴ボランティアを続けてきた金田諦應さんから、助っ人講師にスイッチしての講義。最終目標は塾生(東北出身の若者たち)だけで仮設住宅に暮らす人たちから話を聞くことであり、そのために必要な傾聴のツボを学ぶため、一同は東北大学の准教授を務める僧侶・谷山洋三さん(43)のもとを訪れる。

 谷山さんは、人々の悩みを『聴く』ことで癒やす、〈傾聴〉のスペシャリスト。『実践宗教学 寄附講座』を担当する彼のもとには、震災以降、宗教を問わず100名以上の宗教者が、彼の持つ理論・ノウハウを学びにやってきたのだという。

 彼が塾生たちに示したスライドには、こんなことが書かれていた。

 

 基本姿勢

・全身を耳にして、あるがままに聴く

・学ばせていただく

・先回りせず、相手のペースに合わせる(伴走者)

・相手の様子だけでなく、相手の発言やその場の雰囲気に対する、自分自身の反応を感じながら、話を聴く

宗教的ケアはリクエストがあってから

 

 誘導したりしないで、相手が話したいことを話してもらうこと。相手に合わせること。相手の本心を感じ取ること。その基本を一通り説明した後、四人の塾生は二人一組に分けられる。一対一での、傾聴の実践演習である。

 まず一組目は、【被災者役】前田ひかりさん(東北福祉大学4年)、【聴き役】坂口歩夢さん(東北学院大学1年)のペア。被災者は津波で家族を亡くし、仮設住宅で暮らしているという設定で、話を聴く。

被「私もね、次、決まったんだよ」

聴「あっ、公営住宅ですか?」

被「うん。そうそう」

聴「すぐ近くのですか?」

被「んー、ちょっとこことはまた違うんだけどね」

聴「あそこの高台のですか?」

被「そうそうそう」

聴「あそこだと……ひとりでも、順序とか」

被「そうそう。いろんなとこから来るからね。抽選だから。私は決まって……でも決まんない人もたくさんいるからね」

聴「そうですね……ラッキーだったのかな」

被「ちょっとね。決まったら落ち着いたところはあるけどね」

聴「安心感はありますよね」

 このあたりで、講師・谷山さんの表情が厳しくなる。そして制限時間の5分を待たずして、話を止めてしまう。

 坂口さん(聴き手役)の言葉が相手に被っていること、相手が話すまで待たないことが問題なのだと谷山さんは指摘した。あなたのそばにずっといる、話を聴くよ、という安心感が相手に伝わらないというのが、その理由だった。

 相手の言葉に被せて合いの手を入れる坂口さんの話し方は、被災者役・前田さんが自分のペースで話すことを妨げている。

 視聴者として見ている分には、坂口さんの話し方に、特に問題があるようには思えない。ごく普通の、どちらかというと内気な若者が、必死になって、相手に安心してもらおうと頑張っている様子が見て取れる。

 言うなれば、純粋だが理論のない善意の否定である。

 これだけでも充分衝撃的な内容だが、本番はここからだ。

 

 続いては、【被災者役】伊藤健人さん(東北福祉大学4年)、【聴き役】久保田紗代さん(早稲田大学4年)のペア。聴き役の久保田さんは、テレビ局への就職が内定している。

 まさに、世間に言う「コミュニケーション能力」の権化である。

聴「こんにちは~。おじいさん、ここの仮設何年くらい住んでるの?」

被「え~」

聴「うん」

被「ここは~」

聴「うん」

被「四年くらいかなあ」

聴「じゃあ被災してからずっと?」

被「ん。津波来てから」

聴「うん」

被「ね」

聴「うん」

被「避難所回って仮設さ来て」

聴「う~ん」

被「四年も経つのかな。四年も経ってしまったんだ、本当に」

聴「結構避難所回ってから来るのかな?」

被「避難所に半月くらいいて」

聴「あ~!」

被「だからそっから、あの」

聴「うんうんうん」

被「仮設住宅作ってもらってね、本当にたくさん」

聴「う~んうんうん」

被「そこさ作ってもらって住んでっからさ」

聴「うんうん」

被「でも一人だからさ」

聴「でもこうして、ね、人もいっぱいいるから。ちょっと、ね、どうなの? 仲良くなった?

被「うん、でも……」

 ここで講師・谷山さんのストップが入った。

谷山「はじめから誘導している。あなたが今やったことはインタビュー。違うからね。はじめっから誘導しているよ。それでは、絶対に辛い話できないから」

谷山「黙って聴いて。とにかく。一生懸命、黙って、本気で聴いて

 イエローカードは開始一分だった。

 本人も半ば無意識なのだろう。久保田さんは、「仮設住宅で長く暮らしているが、新しい場所での新しい絆を得て、辛いことがあっても明るく頑張っている被災地のおじいさん」という久保田さん自身が思い描いた物語へと、伊藤さんの話を誘導してしまっていたのだ。

 はたから見ていると、和気あいあいと言葉を交わしているように見える。だが、久保田さんの高いコミュニケーション能力は、辛かった体験を語りたかっただろう相手の言葉を封じてしまった。癒やされる機会を奪ってしまった。

 コミュニケーション能力の高い人が、そうでない人を善意で傷つける構図はどこでも目にする。言いたいことを言えずに丸め込まれてしまった経験を持つ人も多いだろう。コミュ強者による、相手を黙らせるコミュニケーションは、罪悪にすら転じ得る。震災を題材に取り、被災者と聴き手を模擬的に再現した空間で、社会が陥っている、コミュニケーション能力の信奉という病を浮き彫りにしてみせたことが、驚きだった。

 困惑した様子の久保田さんをよそに、演習は再開される。(ここから老人設定はなくなったらしい)

被「なんだかなーって本当にね。ま避難所さ 比べれば、あれだけど、なかなかね。避難所のこともなかなか思い出せなくなってきてさ」

聴「……」

被「家もどっか行ってしまって」

聴「……」

被「何でこんなことすんのかってね。神も仏もいねえって、あん時だけは思った」

聴「……」

被「だけども、おらだけ生きたっでのは、生ぎろって神様さ言われだんだなっで。今だったら思える」

聴「……生まれできたからね。最後まで生ぎること、それが使命なんだから、うん

被「そうだなー。五十、六十。もっどもっど、んだと思うよ」

聴「ここ来て何年くらい経つんですか?

被「もう四年だよ。震災直後……二ヶ月くらいかな」

 ここで谷山さんから二度目のストップが入った。

 谷山「言ったよね。黙ってって言ったよね。喋るの我慢できないかな」

久保田「私は相槌を……」

谷山「言わなきゃならないか!?

 カットされたがさらにかなり強い言葉があったらしい。次のカットでは、久保田さんの目に涙があった。

 今回は、神様に生かされた、と語る被災者役を慰めるつもりで、まだまだ語ることがあっただろう被災者役の言葉を遮ってしまったことに問題があった。そして、もう満足とばかりに別の話題にシフトしてしまっていた。

久保田「同じ境遇になった時どうしよっかなってのをすごく考えちゃって。その時に、何言われたらいいかな~、と思うと……」

谷山「あなたが思ってんでしょ」

久保田「同じ立場になった時に……

谷山「あなたが思ってんだよ、それ! 同じ立場にはな、れ、な、い! 勘違い!

谷山「その場で話をすることのテーマを決めるのはこっち(被災者役)なの。だから逃げてるってことよ。あなたが逃げてるんだよ。聴く側が」

谷山「言いたいことも言わしてくれない。しかも、もしかしたら本当に聴くべきことも、聴けないかもしれないじゃん。相手に話してもらうんだよ。相手のペースを考えるの。自分のペースじゃない! こうかなーって、全部自分の想像じゃないか! そんなものは。想像で人をコントロールしちゃいけないの

 相手のペースで、相手の話したいことを話したいように話してもらうことは、とても難しい。頭で理解していてもこれが難しいのは、谷山さんの考えでは、人それぞれの生い立ちに原因があるのだという。

 そこで谷山さんは、塾生らに、「自分の生い立ちをできるだけ詳しく書き出せ」という課題を出していた。物心ついてから今に至るまでの出来事を覚えている限りすべて箇条書きにさせたのである。

 傾聴の訓練の後、谷山さんは塾生らに、書きだした生い立ちを見ながらその中に上手くいかなかった原因を探すよう指示する。

 

 坂口さんは、中学時代の人間関係に原因があるのではないかと分析した。コミュニケーションが苦手。自分のことばかり考えているから、いざ聴くことに向かい合うと、何かしゃべらないといけないと焦ってしまう。

 久保田さんは、小学校から中学生にかけての環境の大きな変化が、深刻な話に耐えられない自分の性格を作ったと分析した。小学生のころはクラスの中心人物だったが、中学校に入って僻まれるようになった。だから、相手を嫌な気持ちにさせたくないと思うようになった。一緒にいる時だけ楽しくいられればいいなというベースができてしまったと。

 

 自分への厳しい目を持ち、人々の息遣いを感じ取れ、というメッセージを掲げて番組は終わった。

 テレビ局に内定が決まっている女子大生が、「想像で人をコントロールしてはいけない」と言われて涙目になる光景は衝撃的だった。久保田さんの問題ではない。メディアは、想像で人をコントロールしているのではないか。取材者・番組製作者が頭の中で描いた物語を相手に当てはめ、黙らせてはいないか。

 誰も、同じ立場にはなれないにも関わらず、勘違いの同情で、その場だけを笑顔で収めて逃げていないか。

 広く一般化しうる強いメッセージ性、だけではない。ともすれば、番組を通じて、社会的弱者を取材対象とするときの報道の倫理を問おうとしているのではないか。製作者らの意図を邪推したくなる、気迫にあふれた一本だった。