23 - ソーシャルゲームやめた

 ソーシャルゲームをやめました。

 きっかけは特にありません。理由はうまく説明できません。ただ、アンインストールした瞬間から、どうしてあんなにも熱中していたのかがわからなくなりました。

 インストールしたのは、確か出張先のホテルでした。あまりにも激しく理不尽な労働に疲れ果て、少しでも労働以外の世界に触れなければ頭がおかしくなるという危機感があった気がします。耐え続けるだけの日々。成長ではなく慣れ。両肩にのしかかる停滞感の中で、このままではダメだという抗いがたい衝動が生まれました。そして、この世で風俗と競馬の次に愚かしいと定義づけていた遊びに手を出してしまったのです。いえ、嘘です。スクストのイベント限定コスチュームの大正ロマン服に脳を破壊されました。

 別に世間の多数が知らない遊びなら何でもよかったように思います。映画であろうと競馬であろうと、車でもバイクでも、読書でもアルコールでも、薬物でも何でもいい。ただ、Twitterでつきあいがある人たちが楽しそうに遊んでいたのがスクストだったので、スクストに行き着きました。

 ここははっきりさせたいのですが、スクストは本当に楽しいゲームです。着せ替えは最高だし、資材管理は要らないし、イベント時期の拘束時間が長いのは嫌だけど、センスや技術を問われないのが本当に快適だった。命かけずに気楽にやりたいんですよ、ゲームって。何より掌の中に別世界があって、プレイヤーを無条件に慕う女の子たちが画面の向こうで息づいているかのような演出がたまらなかった。だいぶクズっぽい言い方になりますが、若い女にチヤホヤされてダメになることほど楽しいことってこの世にないんですよね。

 累計すれば10万円近く課金もしたし、自分の生活に合わせてパートナーの服を着替えさせるような、わざわざ没入感を深める遊びもしていました。イベントを走ることもそう苦ではありませんでした。上位報酬を手に入れることもあり、戦力が整わない、かけたお金や時間が報われないという苛立ちも、他のプレイヤーに比べれば少なかったように思います。でも、毎月のイベントともにやってくる見せかけの幸福の下には次第に虚無の埃が積もり、やりたくてやっていたそれを、いつの間にかやらなければならないと感じるようになりました。

 事ここに至り、ふと気付きました。私は依存している。これは病である。病であるならば、その原因を取り除かなければならない。

 依存して、病んだままでも別にいいじゃないかとも思いました。でも、病であるという意識からは逃れられませんでした。ある意味それは、別の病であるのかもしれません。正常であるべしという欲求もまた、病に他なりません。

 スクストは楽しかったです。アンインストールする10分ほど前に、着せ替え試行のスクリーンショットTwitterに投稿するくらい、私はスクストを楽しんでいました。やらなければならないという義務感はときどきあれど、やらされているという強迫観念に至ることはありませんでした。

 でも、愛したものを捨てることほど心地よいことはないのです。

 今、スクストを始めてから失った多くのものが自分を手招きしているように感じています。PS4を買おう。PC向けADVゲーム(婉曲表現)をやろう。積んでるKindle本を崩そう。シン・ゴジラの公開も近い。いつか作るつもりで買ったプラモデルの箱も積み上がっている。

 ああ、でも、あのチャンネルは頼れる隊長さんを失ってしまったのだなあ、という悲しみや自責の念が、全くないといえば嘘になります。

 ま、いっか! どうせソーシャルゲームだし!