38 - 誕生日にブレンパワード第1話を観る

  私事ですが、11/9は誕生日でした。誕生日。ずいぶん昔のことだから忘れちまったぜ。

 くしくも稀代のクソアニメ、GODZILLA 星を喰う者の封切り日でして、積み上がる仕事を放り出して映画館へ走ったのですが、まあひどかった。クソの言い訳にSFって言葉使うんじゃねえよ。

 そこで帰ってきて口直しにとDVD/BD棚を眺めていたら、ブレンパワードが目についたんです。そして、「俺、17歳になってしまった」という第1話のセリフを思い出し、観ることにしたわけで。特に関係ないですが、習慣的に、クリスマスには必ずジョナサンの刃を観るようにしています。

 

 これが面白い。

 初めてブレンパワードを観たのは確か高校生くらいの、勇と年齢が近い多感な年頃でした。しかし当時の自分には、1話の勇が何を考えているのかさっぱりわからなかったんですよ。一年前に少し話しただけの女とのことを思い出しながら、自分の居場所を丸ごと捨ててしまう姿に、潔さやカッコよさを感じこそすれ、彼の思いの中身が全然想像できなかったんです。

 大学生くらいになると、少し見方が変わりました。彼は一年前に得た一瞬の感情、吹けば消えるような気持ちの中に、嘘のない真実を見ていたのではないかと。そしてその真実を疑い、嘘に満ちた現状を肯定しようとする自分と、一年に渡り葛藤していたのだと理解するようになりました。それでも彼は、自分が見つけた輝きを信じ続けた。信じ続ける強さを持っているのが勇という人間なんだと思いました。

 17歳になってしまった、という言葉に込められた焦燥感も、わかるようになったのは二十歳を過ぎてからでした。そしてわかるようになったからこそ、自分を取り巻く現状から逃げ出すべく走る勇の姿に、ニューシネマ的な、別のカッコよさを感じるようになった。

 でも今にして観ると、もっと違うものに見えてくる。

 勇は、一年前に得た輝きに、一年間ずっと縋り続けていたのではないか。信じ続けていたのではなく。彼は強さゆえに比瑪のことを思い出せたのではなく、弱さゆえに比瑪の思い出に縋っていたのではないか。

 よくよく考えれば、疲れや憂鬱、そして何より孤独によって、人間はどんどんすり減っていくわけで。思い出から得られる力も次第に小さくなっていくわけで。ガス欠になりそうな車を走らせる時、大丈夫お前はまだ走れるとは思わない。お願いだからもう少し走ってくれって縋るもんな。

 競い合うライバルがいて、形ばかりでも肉親がいて、一応気のおけない友人がいても、勇は孤独だったんだなぁ、折れずにいるにはここでないどこかの思い出に縋らずにはいられなかったんだなぁ。

 そうだよな、精神も肉体も会社に合わせて、労働者になるのは辛いもんな…なんか退職届とか出したくなってきたな。こう、1年か2年くらい……あ?大きな定収がついたり消えたりしている。あっはは。大きい!ボーナスかなあ?いや、違う。違うな。ボーナスはもっと…バァーッって動くもんな。暑っ苦しいなあ、ここ。出られないのかな?おーい、出してくださいよ、ねえ!

 

 そんなことを考えてしんみりしていたら、だんだん星を喰う者への腹立たしさも紛れてきたような気がします。一応ビンタしてたしモスラも八面六臂の大活躍したし…