52 - お久しぶりです。あの時の名無しです。

 お久しぶりです。あの時の名無しです。といっても、あなたは私のことなんかわからないでしょう。

 10年と少し前のことです。私は、2ちゃんねるのSF板や創作文芸板に入り浸っていました。その時に、しばしばお見かけしたコテハンが、あなたです。私は名無しのdion軍でした。

 2ちゃんねるは不思議な場所でしたね。あそこでコテハンを使うと、それだけで叩かれて粘着されました。一方で、名無しが名無しのままで何かすることが、一番クールだ、というセンスがあったように思います。吉野家オフやマトリックスオフのこと、架空の女子高生作って出会い厨釣ろうぜwwwwwみたいな無数のスレのこと、覚えていますか?

 私は、あなたに粘着して叩いて煽っていた、何人かの名無しのひとりでした。あなたが面白いSFとは何かを語れば、私は正反対のレスをしました。あなたがこのSFはつまらないと書き込めば、私は面白さがわからないのはお前がつまらないからだとレスしました。あなたが、自分が落選した公募新人賞の受賞作を叩いていた時、私はそれを嫉妬と煽りました。とにかく楽しかったです。日替わりのIDしか見えない安全圏からコテハンをおもちゃにする興奮を、今、私は昨日のことのように思い出しています。

 特に面白かったのは、あなたが男女の恋愛関係が描かれるSFを一緒くたに駄作と断じていたことです。私は、そういうあなたのレスを、仕事にして煽っていた覚えがあります。しかし私にも、硬派なSFに客寄せパンダのラブロマンスは邪魔だ! という過激な思想に染まっていた時期がありました。最終的に男と女がくっつく側に話の主軸が奪われるのはSFとして面白くないんですよね、でもダンチェッカーはツンデレ可愛いんですよね、わかります。わかりますよ、そういう気持ち。だからこそ、あなたの反応が面白くて仕方なかったのかもしれません。

 あなたは、自分が嫌われているという内容のことを繰り返し書き込んでいました。そしてそれは、自分の書き込みの内容が、少なからず私たち名無しという"多数"の感情を刺激するからだと考えていて、だから嫌われていることをどこか誇らしくも思っている様子でしたね。それが自分の才能の証とも。ですが残念ながら、あなたが粘着され叩かれ煽られたのは、単にあなたがコテハンだからです。何を言うかより、誰が言うかが重要だったのです。

 今、私は2chをほとんど見なくなりました。きっかけは、10年と少し前の、2chの大規模規制です。書き込めなくなったので、見なくなりました。あなたを煽ることもなくなりました。そのうち私はPCを買い替えました。2ch専ブラはインストールしませんでした。代わりに、同じ場所に、ツイッタークライアントが収まりました。あなたのハンドルネームもトリップも、あれほど入り浸っていたSF板や創作文芸板のことも、ずっと忘れて日々を過ごしてきました。

 では、なぜ今こうして、あなたへの届く見込みのない言葉をしたためているのか。

 あなたのツイッターアカウントを見つけたからです。

 長文のツイートが並んでいます。少し掘ってみました。ほとんどレスポンスはないようですね。いいね数はせいぜい1か2のようです。今は40代なのですね。以前は働いていて、ツイッターユーザーに訴求するような仕事の成果もあったけれど、今は手帳持ちの無職なのですね。アイコンは自撮りですね。なんだかアニメキャラがこっちを見ているような画角です。相変わらず、最近のSFをくさすことに忙しいようですね。そして、かつても今も変わらない、恋愛描写への敵意です。本当に変わっていなくて、懐かしい気持ちになりました。

 なろうやカクヨムに投稿もしているんですね。”公開されました”とか、”削除されました”とか、あたかも自分ではなく誰かが自分の作品を管理しているかのような物言いが素敵です。これは投稿サイト利用者によくある仕草ですよね。作者ページも見てみました。ずらりと並んだ作品の数々と、レビュー数0の表示に圧倒されました。あなたが今も満たされていないことがよくわかります。

 しかし、わからないこともあります。

 どうして今も、ツイッターのbioにかつてのコテハンを入れているのですか。スクリーンネームやIDはツイッターらしいなんの意味もない音の羅列のようですが、なぜ過去のコテハンと今の自分をリニアに繋げたがるのですか。あなたにとって、2chで私や他のdion軍たちに煽られていた日々は、今もアピールしたい誇りなのですか。2chの嫌われ者だったことがあなたのアイデンティティなのですか。それもまた、ツイッターユーザーに訴求できそうな仕事の成果と同じく、あなたにとっての過去の栄光なのですか。私たちが2chであなたに粘着したのは、あなたがコテハンだったからであり、それ以上でもそれ以下でもないのに。

 ああ、なんという、ただのインターネットによくいる人。

 だから私は、ぞっとしたのです。

 脳裏をよぎったのは、何人かの犯罪者たちのことでした。青葉真司。渡邉博史。加藤智大。彼らも、事を起こしてしまう前は、きっとただのインターネットによくいる人だったのでしょう。私は彼らについての報道やルポ、彼ら自身の手による手記をよく読みます。いずれも、承認されたい欲求が果たされなかった人たちでした。加藤はそうでもなかったようですが、他ふたりには才能あるクリエイターへの歪んだ感情もありました。思うように働けなかったところも共通しています。

 もしかしたら。

 私は、あなたの中に彼らのような取り返しのつかない歪みを生む一因となってしまったのではないか。あなたが自撮りアイコンで最近のSFをくさし、自分の恵まれなさを嘆き、恋愛を憎悪し、些細な過去の栄光にすがるようになった原因の一部は、私の遊びにあるのではないか。私があなたを、正常から異常の側に突き落としてしまったのではないか。私は、あなたがかつて感じた悪意の一部、だったのかもしれません。

 お久しぶりです。あの時の名無しです。といっても、あなたは私のことなんかわからないでしょう。この再会が一方通行であり、この文があなたに届かないことを願ってやみません。