66 - SSSS.DYNAZENON #3 #4 悲しみのランガードについて

aruren.hatenablog.com

 

 引き続き男子校出身者の怨念とSSSS.DYNAZENONの話であり、南夢芽のスカートにまつわる気持ち悪さの話である。

 

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 タイツかパンストか知らんが、太ももの付け根部分にランガードが描かれている。上は1話からの抜粋。

 

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 続いて2話。極めてフェティッシュだが、着目するべきは、これらがいずれもダイナゼノンの中であるということだ。

 

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 3話、4話ときわどいアングルはあるものの、ランガードは描かれない。なぜかといえばこれも、ダイナゼノン内部が霊的空間であることを示していると思われる。ダイナゼノンの内部では、疑似シン化した男子高校生は霊的存在である女子高生に接近することができる。よって、パンティ・ストッキングのナカグロに相当するレッグ部とパンティ部を繋ぐランガードまで描画することができる。しかし、日常パートにおいては男子高校生は当然ヒトの域に留められているから、レッグ部までしか見えない。そして、たとえダイナゼノンの中であっても、霊的存在の神聖さは揺るがないから、その先を見ることは叶わない。神聖なる浄土の彼岸と煩悩の汚れに満ちた此岸を隔てる三途の川。命の終わりと天国の間にある煉獄。海と大地の間、波打ち際に存在すると言われるバイストン・ウェル。ダイナゼノンに乗る時、女子高生に至るオーラロードが半ばまで開き、バイストン・ウェルが覗けるのである。
 SSSS.GRIDMANでは六花のスカートとカーディガンの丈に関して監督直筆の指定があった。恐らくは今回も同様だろう。「ダイナゼノンの中に限り、ランガードを見せても構わない」というディレクションが存在しているのだ。確かに、戦闘中のダイナミックなアングルでもパンストがすべてツライチに描かれるのはアンリアルだ。女子高生の実在感を薄めてしまうし、作風としてそれは許されないのだろう。前項で記した通り、この作品は、男子校出身者の、知らぬものを無の中から削り出して発見する宗教的行為なのだから、女子高生のディテールを高めないとは信仰に反する行為だ。おお、気持ち悪い。ただの鉄壁やストライクウィッチーズの方が幾分健康的かもしれない。だが不健康なものにこそ我々は惹かれるのだ。夜中の日清カップヌードルのように。

 

 他にも、4話には印象的なシーンがあった。

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 なんとかビーム! そう、「なんとかビーム」なのだ。女子高生は男児が好きな怪獣やロボットには興味を示さない。興味を示さないことがリアルであるから、南さんは正しい技名を叫ばない。しかしここにも、深い業を感じずにはいられない。

 別に、怪獣やロボットが好きだったり武器の名前を暗記する女子高生がいてもいいじゃないか。信仰が薄ければそう思う。だが男子校出身者は多感な思春期を同質集団の中で過ごし生まれた時から多様性に乏しく他人の多様性を受容できない異常者だから、女子高生はみな怪獣やロボットに興味を示さない同質の集団でなければならない。俺の好きなものに興味を持ってくれないのが女の子、という絶望が魂の奥底に染みついているのだ。ムジナの「白だし茶碗蒸し」云々のセリフにも同様の感性が息づいている。ライバルへの敵愾心や怪獣の考察には興味を持ってくれないのが女の子だから、ああいうセリフにならざるをえない。

 では、怪獣やロボットに興味を示す女の子はどうなるのか。

 

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 世界の理から外れた異常者である。俺の好きなものを好きな女の子という都合のいい存在を知覚、認識、受容するための多様性包摂の観念が同質集団の中で育った男子校出身者にはないので、都合のいい存在はサタンの化身として描写する必然が生じてしまう。いくら頭でダイバーシティを学んでも三つ子の魂百までなのだ。

 

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 1話で怪獣玉のようなものを拾い、OPで怪獣使いになることを示唆されている飛鳥川ちせが、ダイナゼノンにときめきダイナソルジャーを手にするのもまた、必然なのだろう。それが男子校出身者の悲しみだから。