70 - 明日ちゃんのセーラー服 足の臭いに関する考察

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 明日ちゃんのセーラー服1話を観て、思うところあったので書き記す。

 そもそも足の臭いとは何が原因なのか。簡単に言うと雑菌などと片付けられてしまうが、その正体はイソ吉草酸アルデヒドであると言われている。皮膚の常在菌である表皮ブドウ球菌が皮脂やアミノ酸類を代謝することで産生され、なぜ靴下かといえば、ブドウ球菌は嫌気性であり通気性の悪い場所でよく繁殖するからである。

 この発生メカニズムの解明は意外と最近、2015年だったりする。結果を読むに、表皮ブドウ球菌が角質層に含まれるL-ロイシンを代謝してイソ吉草酸アルデヒドを産生していると思われる。

 

https://www.rohto.co.jp/news/release/2015/1209_02/

 

 しかしながら、皮膚常在菌は表皮ブドウ球菌だけではないし、臭いの原因物質はイソ吉草酸アルデヒドだけではない。よって、上の画像のシーンで明日ちゃんが感じている臭いに支配的な物質はイソ吉草酸アルデヒドであると断定するのは早計である。

 遡り考えよう。臭いの原因は何らかの化学物質である。その化学物質は人体から発せられる物質を皮膚常在菌が代謝して産生される。では、まず考えるべきは、皮膚常在菌である。

 前提として、皮膚の健康は皮膚常在菌のバランスによって成り立っている。汗や皮脂から表皮ブドウ球菌脂肪酸類を産生し、これは皮膚を弱酸性に保つことで、弱塩基性を好む黄色ブドウ球菌の過剰な増殖を防いでいる。同時に産生されるグリセリンは、皮膚を乾燥等の外部刺激から守る役割を有する。アクネ桿菌はニキビの原因として忌み嫌われるが、増殖しすぎて炎症を引き起こすから問題なのであって、通常は自分がその位置を占めることでより病原性の高い菌が皮膚の上で増殖することを防いでいる。また、表皮ブドウ球菌と同様に脂肪酸類を産生する。皮膚常在菌がいなければ、我々の身体は過酷な自然環境を生き抜くことができないのである。さらに、Naikら*1によれば、皮膚常在菌は炎症反応に関与し、我々の身体のT細胞の機能を局地的に調整しているのだという。

 しかし実は、皮膚常在菌のバランス(菌叢と言う)は人やその身体の部位によって大きく異なるのだ。そのバロメータとなるのが肌質である。これに関するGriceら*2の研究が2009年のScience誌に掲載されている。なお、論文の主題は部位ごとの菌のゲノム解析を行うことで、例えば耳の後ろや膝の裏には遺伝子的にほぼ同一の菌が繁殖している、そこからアトピー性皮膚炎の部位依存性は部位ごとの同種の皮膚常在菌の微妙な遺伝子的な差にあるのではないかと考察することである。

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 この図は、健康な被験者10名を対象に、A:皮脂の多い場所、B:湿った場所、C:乾燥した場所から採取した皮膚常在菌の割合を示したものである。Aで多いプロピオニバクテリアは要はアクネ桿菌。Bで多いスタフィロコッカス類はブドウ球菌、コリネバクテリア類は放線菌。Cで多いプロテオバクテリアは腸内細菌のことである。

 しかし、5番の人は他の人と菌叢がかなり異なるようだ。脂の多い場所にアクネ桿菌が多いことは他の人と同じだが、湿った場所ではブドウ球菌類より放線菌類の方が支配的のようだ。乾燥した部分でもやはり放線菌類が多い。きっと5番の人は他の人と少し違う体臭を持つのだろう。身の回りの人物を思い浮かべてほしい。それが取り立てて不快というわけではないが、その人が近づいてくるとわかる独特の体臭を持つ人に、心当たりがあると思う。彼や彼女らは、おそらくこの5番の人のように、皮膚に一風変わった菌叢を持つためにその菌の産生物も異なるのだろう。

 靴下を履き、ローファーを履いた明日ちゃんの足は、もちろんBに該当する。支配的な菌種は、ブドウ球菌類である。そして表皮ブドウ球菌がL-ロイシンの代謝によって産生するイソ吉草酸アルデヒドである。

 それだけだろうか?

 物事、至ってシンプルな一本道の答えが見つかった時、概ねそれは間違っているものだ。ルーク・スカイウォーカーもそんなことを言っていた。だいたい、自然が、生物が、そんなに単純なはずがないのである。

 ここで、逆に化学物質の方からアプローチしてみよう。

 皮膚ガス、というものがある。その名の通り、人間の皮膚から発せられる微量の化学物質のことだが、これを専門に研究されているらしい関根が臨床環境医学誌に執筆した皮膚ガスに関する総説*3をネットで見つけることができた。

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 イソ吉草酸アルデヒド以外にもメッチャあるやんけ(絶望)。

 このうち足の悪臭に効くものは? n-ノネナールはイソ吉草酸アルデヒドと並ぶ代表的な物質とされている。主に加齢臭の。これについては、明日ちゃんの足の臭いの原因からは除外していいだろう。

 一番気にかかるのは、ジアセチルである。明日ちゃんは「走ったからちょっと汗臭い」と言っている。つまり、何もしなくても生じる皮脂ではなく、運動によって生じる物質が代謝されたものに着目すべきなのだ。ジアセチルは、汗の中の乳酸を表皮ブドウ球菌代謝することによって産生される(詳しくは後述)。つまり、明日ちゃんの足の臭いの産生機序は、

 走る→通気性の悪い足で表皮ブドウ球菌が増殖する→汗をかく→乳酸が生じる→表皮ブドウ球菌が乳酸を代謝する→ジアセチルが生じる→”走ったから汗臭い”

 であると考えられるのだ。

 

 先日、この説を裏付ける興味深い論文を読んだ。日本防菌防黴学会誌、2021年、第49巻12号、pp.589-594、タイトルは『靴下の不快臭の原因物質及び原因菌の解析』。第一著者は濱田昌子さんという方で、共著者含めあの小林製薬の研究員のようだ。

 この論文は、"""足のにおいが強い"""20代の成人男性3名に靴下を履かせて階段の上り下り運動をさせ、

臭気判定士による官能評価

GC/MSによる成分分析

③生菌数測定、単離同定

④表皮ブドウ球菌が乳酸を代謝してジアセチルを産生することのin vitro確認

⑤抗菌繊維の表皮ブドウ球菌に対する性能評価

 を行ったものだ。結果、臭気のうち特に酸っぱい系の臭いについてジアセチルの寄与が最も高いこと、乳酸存在下でのみ表皮ブドウ球菌がジアセチルを産生すること、ある種の抗菌加工を行った繊維によって表皮ブドウ球菌の増殖は抑止可能であることが示された。

 ⑤については少し背景の説明が必要だろう。世に出回る抗菌繊維の原理は有機系・無機系に大別され、有機系は光触媒、第4級アンモニウム塩等。無機系は金属錯体。要するに色々あるのである。しかし、いずれもJIS規格によって性能が規定されており……しかしこのJIS規格は、表皮ブドウ球菌ではなく、黄色ブドウ球菌の増殖を評価しているのである。

 調べきれなかったので推測だが、抗菌繊維が最も求められるのは医療・介護の現場だからなのだろう。黄色ブドウ球菌は毒性が強く、普段は無害だが免疫が低下すると牙を剥く。身近なところでは傷跡や褥瘡の化膿だ。そのような洒落にならないところが肝要であり、臭いだけなら死にゃしないのだ。

 ⑤の結果からそこはかとなく示唆されるのは、黄色ブドウ球菌の増殖抑止を証明しただけの抗菌繊維で作った靴下は臭わないとは限らないということだ。

 

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 ところでジアセチルの臭気は寿司酢や日本酒の風味に重要な役割を果たしてもいるんだとか。シャネルのNo5にはスカトールが含まれているという有名な話もあるし、快と不快は紙一重なのである。全然関係ないが、女の子のタイツや靴下で群れた足の臭いを嗅ぎたがるタイプのエロ漫画はあまり好きではない。

*1:Naik, S. et al. (2012). Compartmetalized Control of Skin Immunity by Rsident Commensals. Science, 337(6098), 1115-1119.

*2:Grice, EA. et al. (2009). Topographical and Temporal Diversity of the Human Skin Microbiome. Science, 324(5931), 1190-1192

*3:関根嘉香. (2016). ヒト皮膚から放散する微量生体ガスと臨床環境. 臨床環境医学. 25(2). 69-75